川上澄生シリーズ

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川上澄生シリーズ

「川上澄生 とらむぷ繪」

川上澄生 とらむぷ繪

版画家・川上澄生によって、昭和14年に作られた「とらむぷ繪」を実際にトランプの形で復刻版にしたものです。
川上澄生の作風は、主に南蛮文化、明治文化を題材にしています。
スペード=♠︎は中国的、ダイヤ=♦︎は近東的、クラブ=♣︎は日本的、ハート=❤︎は南蛮的なそれぞれのテイストを漂わせ、4の文化それぞれの代表的なものがカードに描かれています。並べてみているだけでも楽しい川上澄生の傑作です。

川上澄生 とらむぷ繪

本来の赤パックに青パックを加えた木箱入りの愛蔵版には、鹿沼市立川上澄生美術館による詳しい解説書付き。

「川上澄生 四季のたのしみ西洋骨牌」

川上澄生 四季のたのしみ西洋骨牌

川上澄生 略歴

川上澄生

川上澄生(かわかみすみお)
明治28年 1895年4月10日、横浜市に生まれる。本名、澄雄。
大正 5年 青山学院高等科卒業。
大正 6年 父のすすめでカナダに渡航。
大正 7年 アメリカのシアトルに渡る。
      4月から8月にかけてアラスカのシャケ缶詰製造工員として働く。10月帰国。
大正10年 栃木県立宇都宮中学校(現 宇都宮高等学校)の英語教師として赴任。野球部の副部長に命ぜられる。
大正11年 宇都宮市外鶴田の借地に二間の家を新築。「朴花居」と名づける。
大正15年 図が創作協会展に「初夏の風」を出品。
      (棟方志功はこの作品をみて感動し、版画に開眼。)
昭和13年 北海道白老村出身の小坂千代と結婚。のちに、一男二女をもうける。
昭和14年 「とらむぷ繪」制作。
昭和17年 3月、宇都宮中学校を退職。
昭和19年 「とらむぷ繪」私刊。限定20部。
昭和20年 北海道の追分に疎開。
      6月、白老村に移転。8月、苫小牧中学校嘱託となる。
昭和24年 1月、再び宇都宮に戻り、栃木県立宇都宮女子高校の講師となる。
      この年、栃木県文化功労賞受賞。
昭和33年 3月、宇都宮女子高校を退職。
昭和42年 勲四等瑞宝章を受う。
昭和47年 4月、妻千代没。66歳。
      同年9月1日、川上澄生 心筋梗塞のため急逝。享年77歳。